実は、少年過剰スポーツ車の本質は、ブレーキ競争にあったんだ。これは最も初期のものの一つ。
宮田自転車(昭和47年)のコレに、ここからの進化の方向が暗示されてます。一つは「ディスクブレーキ」にしたこと。もう一つはワイヤーでなくオイルをエネルギーの伝達方法として使ったこと。各社、その両面での開発に鎬を削ったんだけど、やがて前者のみに競争は集約されます。やっぱり自転車にブレーキオイルってのには無理があったんだろうね。
さて、競争がブレーキに移っていったっていうのには、実は理由があります。
過剰、華美な自転車に眉をひそめるPTAの存在がカギ。それをかわすために各社は「安全装置」としてのブレーキに邁進したというワケ。子供にとっては、なんだか、メカメカメカニカルでカッチョイイし、親にとっては「まあ、安全になるのであれば……」というバランス路線を狙ったのよ。それは結局、当たります。さあ、ますますクルマ、というかスポーツカーに似ていくんだけど、だから何なんだ、というのは禁句よ、禁句。