恐らくは、宮田に限らず少年用スポーツ車、全般としても、これは、ほぼ最終到達点だと思います。昭和55年(1980)の11月、宮田自転車はデジタル数字を自転車に導入しました。マイコン少年たちもきっと狂喜乱舞したことでしょう。
宣伝コピーも何だか錯乱してますね。
「ドライブは、メカニズムの演奏だ。」さっぱり分かりません。
例のフォグランプ付きリトラクタブルライト「4アクション・スーパーカー・ライト」
「デジタルコンピュータ」と称するスピードメーター
(「アナログのコンピュータなんてあるのかよ」という突っ込みは無しね)
宮田自転車は最後までオイルディスクを捨てなかった。「トリプルゼット・オイルディスクブレーキ」
4つの発光ダイオードが点滅するテールランプ「プリズムダイオードアイ」何だか、泣けてきませんか?
開発陣はどうしてここまでやらなければならなかったのでしょう。
勿論、開発に携わった人々は、理想的な自転車は、どうあるべきかを知っていた筈です。でも、彼らはおよそ10年間、いわば子供だましのこれらの自転車の開発に邁進しました。それは、やがて現在の自転車技術に生きたのか? いえ、殆ど生きませんでした。
でも、やった。これでもか、とばかり新種のメカを開発しました。そこに整合性があろうと無かろうと。
自転車の重量は、とっくに20キロを超えました。20キロですよ。
その先に一体何があったというのでしょう。