前は誰だ、どんな仕事してるんだ? 本当に仕事してるのか? お気楽な仕事だな、テレビ見ても出てこないぞ、というメールを多数受け取るもので、少しだけ説明をしときます。

 私は某テレビ局、というかTBSですね、バレバレですね、の報道ディレクターです。
 テレビ局のディレクターっていうと「ヤーマちゃーん、どう最近。レーコとリーヤしてるぅ? もーう、このこの、最近売れちゃってぇ」とか言ってる少しデブの、ノリが軽い口髭男なんだろうと思うでしょ。私は口髭は無いですけどね。替わりに禿げてます。

 はい。確かに一部にそういう人間はいます。主にバラエティ番組方面。

 ころが、私の場合はニュース番組のディレクターでして、その仕事は基本的に新聞記者と一緒なのです。仕事の内容はとにかく取材。カメラマンと一緒に絵を撮って、インタビューして、ナレーション原稿を書いて、映像を編集する。これが全てです。
 特に「ナレーション原稿を書く」というのが仕事の中心で、外で地べたを這いずりまわっているか、局内で暗く閉じこもってワープロに向かっているかのどちらかです。
 芸能人ともあまり会いません。知ってる有名人といえば筑紫哲也さんと草野満代さんくらいです。ちっともおいしくないし、お洒落でもないし、トレンディでも最先端でもありません。
 恐らくは、その中で鬱屈とかモヤモヤとかが溜まってしまって、自転車通勤など始めてしまったのでしょう。


 な作品は次の通りです。ほんの一部ですが、見たことがあるのはありますか? あったら嬉しいな。

「加熱する中学受験」(「ニュースの森」91年)
「レンタル家族」(「ニュースの森」91年 米CBS同時放送)
「新宿歌舞伎町・国際売春通りの裏」(「ニュースの森」91年)
「出張ホストの甘い罠・全8回」(「スペースJ」93年 民放連賞参加作品)
「金平日を追え-フィンランドから」(「スペースJ」94年)
「がんばれ神戸」(「スペースJ」95年 ギャラクシー賞受賞)
「地震の予測はどこまで出来るのか?-ギリシャからのレポート」(「スペースJ」95年)
「オウムを生んだ時代」(「スペースJ」他、オウム関連で社内賞 95年)
「黄金の都シカン・深紅の頭蓋骨の謎」(「スペースJ」95年)
「黄金の都シカン・地底からの挑戦状」(特別番組 96年)
「ODAはどう使われる?-ホンジュラスから」(「ニュース23」97年)
「日本人、アホウですね-なぜ選挙に行かないの?アマゾンからのレポート」(「ニュース23」97年)
「漢江に陽が沈む-瀕死の韓国経済」(「ニュース23」97年)
「韓国の紅白歌合戦」(「ニュース23」97年)
「上海バブルの光と陰」(「ニュース23」97年)
「ピノチェト元大統領を裁くのは誰か?-チリから」(「ニュース23」98年)
「何が何でもサミットを呼べ-崖っぷちの宮崎シーガイア」(「ニュース23」98年)
「永山則夫は南米のストリートチルドレンを救えるか?」(「ニュース23」98年)
「失われた声を取り戻すために-喉頭ガンを乗り越える人々」(「ニュース23」98年)
「ニュース23・10周年スペシャル『顔』」(「ニュース23」99年)