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私は実は真面目に、力瘤を入れて「21世紀は自転車の世紀にならねばならぬっ!」と考えています。
その気宇壮大なるココロは、拙書「自転車通勤で行こう」の第4章に詳しいのですが、一言でいうと「自転車ぐらいの技術に、戻るべきところは、戻ろうぢゃないか」というに尽きるわけです。現代文明がもはや行き着くところまで来ちまって、なんだこりゃ、地球の環境が、行く末が、危ないよ、とは誰もが思い始めたところだとは思うのです。
ところが、ぢゃあ、具体的に有効な手段は何がとれるんだ? というと、どうも有効と思えるものが、意外に少ない。
「これなんか環境に良いな」とか思うものに限って、不思議なことに、それを現実にする為には工場で吐き出される煙が増えたりするのが、何だか現状なんですな。例えばこういうことです。
クルマの燃費を良くするために(つまり排気ガスを減らすために)、ボディを軽いアルミにしたりするでしょ。それ自体は悪くないけど、アルミニウムを精錬するにはものすごい量の電気が必要とされるワケですよ。その電気を作る発電所はどうなんだ、と思うと、さて、どうなんでしょう? この辺が非常に疑問。
もう一つ、牛乳パックの回収、なんてことを考えるともっと悲しいね。牛乳パックのリサイクルって盛んだけど、あれの内側に付いてるビニールコーティングを剥がすのには、パルプから紙を作るよりももっとコストとエネルギーがかかるんだって。
せっかく善意でやってるのに、なんてこった、と思いません?
そんなことはいっぱいあるんだ。
何故なら社会のシステムがそう出来ちゃってるからなんだろうね。
大量生産と大量消費は、我々の豊かさを作ってくれたけど、もはや地球がそれに耐えられないところまで来てる。どうにかしなくっちゃ。でも真に有効な手段が分からない。だったら、まず手始めに自転車に乗ろうよ、というのが私の主張なのです。
別に原始に帰れって言ってるワケじゃない。クルマなんて必要ない、とも言わない。必要ないときは乗らないようにしませんか、と言っているのです。自転車や電車で、代用できるところはしませんかと言っているのです。
だって、クルマでないと出来ないことは沢山あるからね。高齢化もますます進むことだし、そういうところではクルマはすごく便利。仕方ない。
だけど、そういう必要がなければ、サドルに跨ろうよ。そっちの方が絶対に気持ちいいって、と言いたいワケだ。渋滞の中の一台になるより速いし、健康にもいいよ。多少はきつかったりすることもあるけど、それもまた楽しい。それを、より多くの人に気づいて欲しいんだな。
村上春樹のずいぶん前のエッセイの中に「冷房なんてなくったって、冷たい麦茶があった。冷たい麦茶がおいしかった頃の、貧乏な自分は幸せだった」というような一節があったけど、アレに近い。冷蔵庫で冷やされた麦茶ってのはちょうど良いくらいの幸せだ。私もそう思う。その手始めが「自転車通勤」なのです。
赤坂まで、歩いて毎日通うのはたまらないけど、自転車だったら、何ともない。
別段、自転車に乗らなくても、電車なら充分エコです。大抵の人はそうしていると思います。でも、意外に楽で、楽しい自転車通勤が、環境や社会を考える何らかのきっかけになればな、と思うワケなのですね。
毎日、都会の道路を通っていると、交通に関して、何か変だな、変なシステムだよな、と思うようになります。
自転車でカロリーを使う喜びが分かってくると「その程度の距離なら自転車で行こうっと」と思うようになります。
それがやがて社会のシステムを変えていくことに繋がれば、と思うのです。一週間に一度でもいいからやってみませんか? 自転車通勤。
会社と家が地続きだと分かるだけでも収穫でっせ。